有名人のお墓

No.12

 (生没年不詳)

『郷土に語り継がれる「義人」』
場所 海南市黒江 浄国寺内
 

 重根屋伊七は、享和三年(1803)の未曾有の大飢饉に際し、一身を犠牲にして村民を救い、漆器産業を守ろうとした「義人」である。生い立ちについては、現在の海南市黒江の漆器職人であったということだけで定かではない。
 当時地方の住民の困窮は想像以上で、餓死する人が絶えず、この惨状を見た伊七は、漆器産業にも多大な影響が及ぶことを危惧し、救済のために奔走する。しかし、その努力は報われず、ついに藩主に直訴を決行することを企て、八月十二日椀製造の材料である続飯米(そくいまい)の名目でお蔵米の下げ渡しを願い出たのである。伊七は捕えられて投獄され同年十二月二十九日に牢死する。
 黒江の人たちは、以後漆器製品の取引の際に「二膳ば」と言って、製品100個につき2個を余分につくり、これを残してその代金を積立てて、毎年伊七の法要を営み、故人の徳を偲んでいたが、いつのまにか途絶えてしまった。
 伊七の墓碑は大正十一年船尾地区の墓地に埋もれていたものが、海南市黒江の浄国寺の境内に移され法要が行われた。現在は県漆器商工業協同組合の方で管理がなされている。


重根屋伊七墓碑



浄国寺山門

浄国寺本堂