有名人のお墓

No.01

  (生没年不詳)
『紀州御庭焼陶磁「瑞芝焼( ずいしやき)」の開祖』
場所 和歌山市北新金屋丁31
高野山真言宗 慈光圓福院内
 

 瑞芝焼は鈴丸焼、滅法谷焼(めっぽうだにやき)とも称せられ、紀州製陶が十代藩主徳川治宝(はるとみ)公の時代に隆盛を極めた偕楽園焼、男山焼(おやまやき)と並んで紀州の三大陶窯の一つとして有名である。
 岡崎屋阪上重次郎(当時28才)が寛政8年(1796)和歌山市畑屋敷新道町(旧鈴丸町)藻屑川のほとりに紀州藩の官許をうけて創窯し、享和元年(1801)滅法谷に窯を移し十代藩主治宝公より芝の緑色を焼物に表現するよう命じられ、青木木米の指導により中国龍泉窯を源流とした緑色青瓷の完成を見るに至り、藩の御用品を焼く御用窯として藩主治宝公より瑞芝の銘を賜る。製陶場には黒の総うるしに金の葵の御紋を附したお成門があって藩主治宝侯が河船で来遊したという。
 明治7年(1874)まで経営したが三代阪上重治郎(本名栄治郎)の時、同年廃窯した。初代阪上重治郎より五代目に当る阪上節介が美濃梅平窯で修業。昭和48年9月(1973)和歌山伏虎城下紀の川北岸葛城山系の麓、和歌山善明寺に三基の窯を築構し瑞芝焼を先祖ゆかりの地に再興して徳川時代の瑞芝青瓷の他五代目作品として北宋時代の鈞窯の月白紅斑、紅紫釉、南宋時代の哥窯の米色青瓷、建窯の油滴、明清時代の銅釉による赤色系の桃花紅、宝石紅、鉄釉で銀系と名付けた銀黒色のものを焼いて、現在に至る。


岡崎屋阪上重次郎の墓
正面に「陶工浄眞」と刻まれている。

     

慈光圓福院山門脇に立つ標石(上)
拡大図(左)


『瑞芝焼』へのお問い合わせは073-452-0512 もしくは073-472-6178

 

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