第10番 大宝山 恵運寺
(曹洞宗)
十一面観世音菩薩

「 空海から新田義貞そして恵運寺へ 」

 恵運寺の開基は、元和5年(1619)頼宣公が紀伊に入封した時、三河国室城主山本図書正春も随従。元和7年山本図書は祖父長昌のために堂宇を建立し、長昌院と号した。そして、頼宣公の要請により相模国鎌倉より紀州に入国した天厳玄達大和尚を開山者として、長昌院を広厳寺と改名した。更に寛政元年(1789)恵運寺と改名し現在に至っている。
 さて、当寺の観音菩薩像縁起をたどっていくと、約1200年前にさかのぼる。第52代嵯峨天皇の時(弘仁年間=810年頃)空海が刻んだ十一面観世音を模刻したものを、後に新田義貞(南朝の忠臣)が更に模倣して、小型の金仏を鋳造し自分の守り本尊とした。そして時は経ち、山本図書正春がその観音像を得て、現在では恵運寺の菩薩像の胎内仏となっている。
 恵運寺には、青面金剛童子を祀る盗難除けの庚申堂と、火除け地蔵尊を祀る地蔵堂がある。この地蔵堂はもともと東長町にあったものを、地元から請われて明治5年に移された。そして昭和20年7月の大空襲の時、火除け地蔵の効験で寺は焼失を免れたのである。それ以来、一に盗難除け、二に火難除け、三に家内安全を庚申堂において祈祷し現在に至る。また恵運寺の山本家は菅原道真公の子孫にあたり、受験シーズンには学業成就の為お参りに来る方も多い。

 

 


(御本尊) 十一面観世音菩薩
(開創) 元和7年(1621)山本図書正春の開基にして、 天厳玄達大和尚の開山。
(その他) 庚申祭の日は、暦に定められた日を参照して下さい。
水子供養は随時受付している。
水難除け 魚供養(観賞魚・金魚・熱帯魚・鯉・活魚・釣魚)
(住職) 山本 壽文
(所在地) 和歌山県和歌山市吹上3-1-66
(電話) 073-424-7633